記録よりも大切なこと ~MIRAI航続距離1,000km超えで伝えたかったメッセージとは~

2021.08.11

5月末、フランスから驚くべきニュースが届いた。その背景にあった想いとは。プロジェクトに携わった3名を取材した。

水素燃料電池車MIRAIが航続1,000km超え――。フランスで立ち上がったプロジェクトチームによって、驚くべき記録が達成されたというニュースがトヨタ・モーター・ヨーロッパ(TME)から届いた。

欧州仕様のカタログ値では、一度の水素充填で約650km。一般的には、カタログ値通りの燃費を達成するにはそれなりのコツが必要だが、そのカタログ値を大幅に超え、それまでの世界記録を約100km以上も上回った。

1カ月後、この記録は日本のモータージャーナリストたちに破られることとなったが、最初にチャレンジしたヨーロッパのメンバーはこのプロジェクトにどんな想いを込めていたのか。今回のプロジェクトの責任者であるTMEのセドリック・ボレマンス氏、トヨタ・フランス(TFR)のマリエ・ガッドPRマネージャー、そしてプロジェクトにともに取り組んだ、エナジーオブザーバ―社の会長で、創設者でもあるヴィクトリアン・エルサード氏を取材した。

2社を結んだ想い

はじめに、今回ともにプロジェクトに取り組むこととなった、エナジーオブザーバ―社とトヨタの関係について説明しておきたい。

エナジーオブザーバ―社は、フランスに拠点を置き再生可能エネルギーの研究を行っている。太陽光や風力といった再生可能エネルギーや、海水から生成した水素を用いた燃料電池を動力とする、世界で初めての自立エネルギー型燃料電池船「エナジーオブザーバ―号」を開発し、世界中を航海している。海上という、地域や場所によって気候条件がさまざまな環境下で再生可能エネルギーの実証を行うことで、その可能性に挑戦し続けている企業だ。

エナジーオブザーバ―号。数々の賞を受賞した双胴船をベースに、ゼロエミッション技術に挑戦するために設計された  © Energy Observer Productions – Antoine Drancey

このエナジーオブザーバ―号には、トヨタの燃料電池技術をベースに開発されたシステムが搭載されており、トヨタとエナジーオブザーバ―社は再生可能エネルギーという分野で近年連携を強めている。

その2社が、どうしてMIRAIの航続距離への挑戦を行うことになったのか。きっかけは、ボレマンス氏とエルサード氏のふとした会話だったという。

TME・ボレマンス氏

アイデアは2019年には生まれていたんです。当時、ヒュンダイの水素燃料電池自動車 NEXO(ネッソ)がフランスで航続距離778kmという記録を出したというニュースがあって、エナジーオブザーバー号を見学しに行った時に、「何がなんでもこの記録を打ち破らなければ」と話題に上がったことがきっかけです。

その後は、トヨタのエンジニアたちと下準備を進めながら、実施するよいタイミングを探していました。そんな時に、ヴィクトリアン(エナジーオブザーバ―社)から、MIRAIの燃料電池技術を応用した定置型水素発電機と“グリーン”水素から供給された電力で、パリのエッフェル塔をライトアップするイベントを実施するという話を聞きました。

(どちらも燃料電池を使った話題づくりということで)アイデアが生まれてから約1年半後のタイミングで同時に挑戦することになりました。ただ、実はわれわれがMIRAIで航続距離更新にチャレンジする1週間前、ヒュンダイオーストラリアが887.5kmを走行し、記録を更新していました。挑戦のハードルが一段上がりましたが、記録の更新を目標に準備を進めました。

再生可能エネルギーをテーマとした活動をしているエルサード氏は、今回のプロジェクトを通じて世の中に伝えたかったメッセージを語ってくれた。

エナジーオブザーバー・エルサード氏

私は元々大型客船などの航海士をしていました。それに、スキッパー(ヨット競技で舵を握る人)としてレースに参戦しながら大西洋横断もしてきました。その中で、航海しながら船が海を汚染していく様子を目の当たりにしていたんです。

伝えたかったメッセージは、再生可能エネルギーを有効活用することで人と地球に配慮して活動することができるということです。航海のときには、水素は非常に重要な役割を担う燃料で、地球環境を汚染しない、ゼロエミッションの象徴であるということを伝えたかったんです。

イベントのタイトル"Paris de l’hydrogène(水素のパリ) "は、フランス語で「賭け」を意味する "pari "を使った言葉遊びで、水素に賭けることと、パリが水素の街であることを意味しています。

エッフェル塔をグリーン水素でライトアップすることで、パリがゼロエミッションの実現を目指す、革新的な都市であることを伝えられたと思います。

こうした想いをトヨタと共有して、エッフェル塔とMIRAIのプロジェクトを同時に実施できたことはとても喜ばしいことだと思っています。

MIRAIの燃料電池技術を応用した定置型水素発電機(GEH2)からの給電でライトアップされたエッフェル塔。二酸化炭素が発生しないグリーン水素を使用した象徴として、緑色にライトアップされている ©Olivier Anbergen
ヴィクトリアン・エルサード氏。自他ともに認める“負け嫌い”。ハンドルを握った瞬間、競争心が芽生え、2-3時間の走行予定を大幅超過し、6時間半運転し続けたという

クルマと船、普段扱うモノは違っても、「カーボンニュートラルの実現」という共通した想いを持った2社が手を取り合い、着想から約1年半、念願かなって実現したプロジェクトだったのだ。

大切なのは「誰でもできる」ということ

プロジェクト実施が決定した後、メンバー選定や航続距離を伸ばす運転方法を練習するなど、記録更新に向けた準備を進めてきたという。

TFR・ガッドPRマネージャー

まずは、TFRの多くのメンバーがMIRAIを運転したことがなかったので、社内のさまざまな部門から計15名を選出し、エンジニアからエコドライブの講習を受けることから始めました。私自身も練習段階で400km以上は運転をしたと思います。

最終的には、エコドライブのスコアを踏まえてドライバーを選定しました。その結果、エナジーオブザーバ―社のヴィクトリアンさん、TMEのエンジニア、MIRAIの商品企画担当、そして、私の4人がドライブすることになりました。結果的に、クルマのスペシャリストとそうでない人、MIRAIは誰でも効果的に運転ができることを伝えられる、よいメンバー構成になったと思います。

フランスでも、国民の関心が非常に高いテーマである「カーボンニュートラル」。プロジェクト後のお客様の反応について「水素技術に期待している。このような取り組みを継続し、MIRAIのパフォーマンスの良さをもっと見せて欲しいなど、SNSなどで非常に多くの反響をいただきました。フランス全土で水素技術やMIRAIへの興味は非常に高くなっています」とガッド氏は話す。「今後、より一層トヨタの脱炭素に向けた考えや取り組みを発信していきたい」とも付け加えた。

ドライバー4名。左から2番目:マリエ・ガッド氏、1番右:ヴィクトリアン・エルサード氏
パリ市内を走行するMIRAI

トヨタという大企業の限界を後押ししてくれたもの

ボレマンス氏によると今回のプロジェクトでは、新たな記録を打ち出しただけでなく、未来へつながる大きな収穫があったという。

TME・ボレマンス氏

トヨタのような大企業が、スタートアップ企業からいろんなことを学ことができるということが今回のプロジェクトを通じて分かりました。(スタートアップ企業である)エナジーオブザーバ―社が、私たちが限界を超えるために、たくさんの後押しをしてくれました。

元々、エッフェル塔のライトアップはパリ2024オリンピック・パラリンピックで実施する計画でしたが、想定以上のスピードでプロジェクトが進行し、2024年を待たずに2021年に実現できてしまいました。これも大企業とスタートアップ企業がお互いに高め合って、限界を押し上げることができたからです。

今回のプロジェクトは私たちにとって、とても良い経験になりました。

ゴール後、記録更新の喜びを分かち合うTFR フランク・マロッテCEO(左)とヴィクトリアン・エルサード氏(右)

フランスの首都パリでは、2024年にパリ2024オリンピック・パラリンピックが開催される予定だ。パリにはフランスの代表的な河川であるセーヌ川が貫流している。具体的な取り組みはまだ多くが検討段階とのことだが、同大会に向け、セーヌ川の水を電気分解して得られる水素を活用し、TMEとエナジーオブザーバ―社で実現しようとしている、いくつかの催しのアイデアを教えてくれた。

TME・ボレマンス氏。エナジーオブザーバ―社とともに、パリ2024オリンピック・パラリンピックでの多くのアイデア実現に向けて動き始めている

「改善」と「チャレンジ」の輪を世界へ

最後に、冒頭で触れたように今回の記録は約1カ月後に日本で破られている。この事実をどのように受け止めているのか聞いてみたところ、日本での記録を讃えるとともに、次に向けた思いを語ってくれた。

TME・ボレマンス氏

何よりも嬉しいことは、私たちが記録を更新したことによって、そのニュースが世界中に知れて、日本でも同様のプロジェクトが行われるほど、気持ちを駆り立て、挑戦が行われたことです。

次回また記録に挑戦する時には、もっと社員を巻き込んで実施していきたいと思っています。日本とフランスの社員間で技術などに関する情報交換をし、改善を進めていけば、プロジェクトを高めることにつながると思います。

また、メンバーが新しいことにチャレンジし、貢献しているという気持ちになることが大切だと思います。今回も、良い記録を出すために、メンバーがオフの時間を使って運転練習などを進めてくれていました。関わる全員がチャレンジ精神を持ち、促進させるということが、このプロジェクトの持つ意味でもあると思います。

そして、この取組みの輪が他の国々にも広がることで、トヨタの「改善」「チャレンジ」精神にも、より一層磨きがかかっていくと思います。

今回のプロジェクトについては、豊田社長も「ヨーロッパに続いて日本でも実施され、さらに記録が破られたことは大変喜ばしいこと。今後、アメリカ、中国、オーストラリアなどさまざまな地域でチャレンジして欲しい。まずは、そのきっかけをくれたヨーロッパに感謝をしたい」と今後のさらなる展開に期待している。

このフランスでの取り組みが呼び水となり、その輪が広まれば、記録以上にその意義は大きい。

世界での「カーボンニュートラル」に向けた歩みはまだ始まったばかり――。

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