震災から10年。被災地・浪江町での新しい取り組みと未来構想(後編)

2021.03.19

新人記者・森田によるレポート第2弾では、福島を訪れた豊田社長に密着。福島でトヨタができる貢献とは?

一過性では終わらない実業での復興支援を掲げ、毎年東北の地を訪れてきた豊田章男。

前編で紹介した宮城視察に引き続き、2021年3月5日、豊田社長が訪れたのは、福島県・浪江町だ。

浪江町は、10年前に起きた地震、津波、そして原発事故により、町の大部分の人々が避難を余儀なくされた。4年前にようやく町の一部が避難解除となり、ゼロからの再出発として、脱原発の新エネルギー、水素で未来の街づくりを目指している。

それに対し、豊田社長は、「東北の皆さんと一緒に、カーボンニュートラル社会という未来を実現することが、自動車産業の役割」ととらえ、新たな未来の街づくりに貢献する意向を発表している。

今回、豊田社長が浪江町に訪れた目的は、昨年の2020年3月に開所された、「福島水素エネルギー研究フィールド」(以下、FH2R)を視察するためである。 当日は、福島県の内堀雅雄知事(写真右)、浪江町の吉田数博町長(写真左)らも同行した。

トヨタとして、福島で貢献できることは何なのか。後編も前編に引き続き、トヨタイムズ新人記者・森田京之介がリポートする。

世界最大級の水素製造能力を持つ実証実験施設「FH2R」に見る可能性

FH2Rは、太陽光による再生可能エネルギーから水素をつくる、世界最大級の水素製造機能を持つ実証実験施設だ。

浪江インターを降りて、海に向かってクルマを走らせ、山道を抜けると、突如、太陽光パネルがずらりと並ぶ景色が飛び込んでくる。その真ん中でひと際存在感を放っていたのが、FH2Rだ。原発事故で大きな被害を受けた浪江町の広大な敷地の中に、水素タンク8基がそびえ立ち、ここが水素の一大拠点となっていくことが間近で感じられた。

豊田社長がここを訪れた最大の目的は、水素の製造工程をはじめ、貯蔵や輸送の拠点を確認した上で、モビリティの会社として、今後どのような取り組みで社会の役に立てるのかを模索することにある。

10年の節目に今、福島の未来に貢献できること

震災後、東北に貢献するためにロングスパンでとらえ、実業を通して、地域に雇用をつくり、税金を納めることはこれまで着実に実現してきた。

それと同時に豊田社長には、10年間ずっと言い続けてきたことがある。「復興した東北が日本の未来を引っ張っていく」という言葉だ。

取材時、豊田社長に質問をぶつけてみた。

森田記者

2012年9月のタイミングで、社長は再生エネルギーの研究開発において、人材育成や技術面で東北に貢献する意向を示しました。10年の節目に福島・浪江町のFH2Rを訪れて、未来に向けて動き出したという実感はありますか?

豊田社長

まだ実感はないですね。被災した2011年からやっと未来のことを考えられる時期が来ましたが、10年目に再び余震が起きてしまいました。

そうした意味でも、東日本大震災はまだまだ過去のものではない。しかし、10年のひとつの節目は、少しだけ、意識的に次のフェーズに持っていくチャンスではあると思っています。

10年にわたる震災復興の取り組みの中で得られた、豊田社長自身の率直な実感や評価なのだという印象を受けた。「意識的に持っていくチャンス」と表現しているように、そうしなければ未来に踏み出すことも難しい。

だからこそ豊田社長は、動かなければと感じただろう。10年がたった「福島の今」を豊田社長がどうとらえているか、端的に示している言葉だったと思う。

モビリティの会社としていかに「水素」を活用するか?

太陽光で発電して、その電気で水素をつくる。そして、その水素から作った電気を使う。恥ずかしながら当初、この流れがしっくりきていなかった。最初から太陽光発電の電気を使えばいいのでは?と率直に思っていた。

でも、そこにはちゃんと意味があった。施設の見学中、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の担当者に話を聞いて、謎が解けた。

電気はそのまま貯めておくことが難しく、発電したらすぐに使わなければならない。だからこそ蓄電池が大きな役割を果たすわけだが、ここでは、電気を一旦水素に変えることで一定期間貯めることが可能だ。太陽光が発電できない夜間や悪天候のときでも電気を使うことができる。水素は太陽光エネルギーの弱点を補完する存在だ。

一方で、どれくらいコストがかかるのか、安定した供給ができるのか、など課題を確かめる必要がある。そもそも水素を作っても、使い道がなければ確かめようがない。

水素を作る施設は完成した。では、作った水素をどうやって運び、どのように使うのか。このサイクルを作って実証していくことがこれからの課題であり、ここにトヨタが果たせる役割があることが見えてきた。

2050年までのカーボンニュートラルの実現を目指して

労使協議会の場でもカーボンニュートラルの解説をしていた寺師茂樹エグゼクティブフェロー(以下、EF)が教えてくれたのは、カーボンニュートラルを実現していくことの難しさ、簡単にゴールには到達しないということ。想像以上に取り組むべき課題が多いと感じた。

寺師EF

あと30年の2050年までにカーボンニュートラルを実現するには、福島県やトヨタが がんばるだけでは到達できません。

日常生活のあらゆる場面でCO2(排出)のスイッチを押していることをみんなが自覚し、国民全員がカーボンニュートラルに向かっていく気運がないと、スピードは加速しません。ここから大きく広がって、みんなが同じ方向に向かって行くことが大切です。

今後、トヨタは福島で、さまざまなテストを実施することになる。配送用のトラックをはじめ、県の官公庁車水素仕様車したり、町内にある道の駅やスーパー、コンビニに発電装置を置いて、そこで使われる電気を一部まかなったり。

電気コンロやオーブン、業務用冷蔵庫などの電力を十分にまかなえる燃料電池を装備したキッチンカー

さらに、有事でも電源が断たれないように、給電車両を標準装備するなど、水素エネルギーの実証実験の場をつくることを目指す

2050年までのカーボンニュートラルの実現について、世の中では技術面で語られることが多い。その一方で、寺師EFは、「人々の生活が無意識にCO2を排出することにつながっているからこそ、生活の中での意識を変えることが大事」ということも強調していた。

再生可能エネルギーから作った水素で発電すればカーボンフリーのエネルギーが実現できるあとはたくさん作って規模を拡大するだけといった、そんな単純な話ではなかった。

「技術の進歩だけではなんとかならない。みんなの日頃の意識を変えなければいけない」という考え方は、カーボンニュートラルを他人事ではなく、自分事として意識する大きなきっかけになった。

水素社会の実現には、「つくります」「運びます」「使います」のフローが必要

視察を終えた豊田社長は、浪江町で製造された水素を郡山市やいわき市などの近隣の都市にも活用を見出した上で、記者陣の前でわかりやすく今後のビジョンを語った。

豊田社長

ゴールに到達するには、一足飛びにはいきません。

Woven Cityでも原単位をつくることを最初の目標としていました。

水素社会をつくるには、「つくります」「運びます」「使います」のフローが必要で、「使います」の部分で、我々モビリティ会社が役に立つのではないかと考えています。

ここで製造できる年間900tの水素のキャパシティは、浪江町にしてみれば、オーバーキャパシティ(使いきれない)。一方、30万人規模の都市にしてみたら、アンダーキャパシティ(この量では足りない)。

30万人規模の都市は、日本の自治体としては、もっともポピュラーな規模。なので、30万都市でできるキャパシティの原単位ができたら、たとえば名古屋は200万都市だから、その原単位の7倍として考えればいい。そうした段階を踏まずに、急に日本全国で水素社会の実現を…といったところで不可能だと思います。

そうした意味でも、ここでの取り組み(浪江町近隣の30万都市で水素を活用していく取り組み)で、原単位をつくる第一歩ができます。

例えば、自動運転の開発を進めていく場合、その実験場であるWoven Cityでは、まったくの更地に道をつくることができました。

自動運転の原単位づくりで、一番難しいのは、いろんなモビリティが混在する道があったり、天候によって道の表面が変わってくること。自動運転にとっては難しい条件となります。地下など、天候の変化に及ぼされない物流が一番簡単です。

我々は、開発競争の一番乗りを目指していません。目指すのは、自動運転による安全の確保です。自動運転に移行したことで交通事故死がゼロに向かうことが、我々の究極の目的です。

そうやって原単位ができたところで、Woven Cityは、まっさらな自前の土地なので、ある程度自由に(実証が)できる場所です。いきなり、実際の世の中の道(公道)では、そういうわけにはいきません。

一方、ここ福島では実際の道があり、かつて浪江町には約2万人の人が住んでいましたが、一旦ゼロになってしまいました。2,000人程は戻って来られていますが、いわばWoven Cityとは違った、スクラッチからの街づくりができる町なのです。

一回ゼロになったので、学校もスーパーも、病院もなくなりました。そうしたものを戻すところから始まると考えています。そして今後、一番のプラットフォームであるエネルギーをどうするかを考えていける場所です。

すでに福島は、空飛ぶ自動車やドローンなど、ロボットのテスト場にもなっています。実際、それらをテストするとなると、さまざまなところで許可を得て調整するのにひと苦労です。開発できる土壌でないと難しいのが現状。

その点、原発や津波、風評被害で大変な苦労をしてきた福島県にその場があるならば、我々もそこに参加しない手はありません。

ここで実証できたら他の県や町からも手ががる流れをつくりたい。ただし、トヨタだけでは無理なので、ほかの企業も参加したくなる流れの第一歩を作れればと思います。

カーボンニュートラルの実現を目指す30年後の世界は、私にとってまだ遠い未来であり、当事者意識を持てない面もあった。

豊田社長が示した「原単位を使うカーボンニュートラルへのアプローチ」は、寺師EFが語った「みんなの意識」と通じるものがある。遠いゴールに一気にたどり着く魔法のような技術は存在しないだからこそ一歩ずつ着実に歩みを進めることが重要ではないかと感じた。

また、ゼロから創られるWoven Cityと、一旦ゼロになってそこから再生していく浪江町は、エネルギーをテーマにトヨタが一緒に未来を創造していく点でリンクするものがある。今後、浪江町での取り組みはWoven Cityでも生かされ、逆もまた然りなのかなと感じている。

今回の取材を通して、福島・浪江町の水素社会実現のためにトヨタが果たすべき役割が見えてきた。

今後モビリティ・カンパニーとして、物流を担う商用車や水素による発電といった多くの「水素の使い方」を試していく。その中で、ランニングコストや人々のニーズなど、さまざまな課題が出てくるだろう。そうした課題を一つずつ乗り越えた先に、カーボンニュートラルの実現という未来が待っているはずだ。

このプロジェクトに関わるあらゆる人や企業、自治体を巻き込みながら、浪江町での水素社会の実証実験が都市に広がっていく、そんな未来を今から楽しみにしている

(編集・庄司 真美)

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