4500人が全力疾走 たすきをつなぐトヨタ社内駅伝

2020.02.05

566チーム、約4500人もの社員ランナーが参加するトヨタの社内駅伝大会。今年もその現場に豊田の姿があった。

トヨタでは毎年12月に「社内駅伝」が開催される。そして、そこには必ず社長の豊田の姿がある。社内行事とはいっても、その開催規模は半端ではない。第73回となる今回は566チーム、約4500人もの社員ランナーたちが健脚を競った。今年も会場には沿道から声援を送り、社員との交流を楽しむ豊田の姿があった。

(※)大会詳細は末尾に記載

今回は国内外の関係会社(41社)を含む566チームが出場した。

3万5000人が朝から集結

2019年12月1日、日曜日。名古屋鉄道の三好ヶ丘駅の改札は、大勢の人だかりでごった返していた。大会の舞台となるトヨタの総合スポーツ施設「トヨタスポーツセンター」(愛知県豊田市)まで徒歩10分の最寄り駅は、改札を出るのに5分以上がかかる混雑ぶりだった。それもそのはず。この日の来場者数は従業員やその家族を中心に3万5000人にのぼったのだ。

ランナーたちの朝は早い。7時前からウォーミングアップをする選手たちが大勢いる。8時50分の開会式が近づくにつれ、会場は混み合い、陸上競技場内のスタンドで各職場の選手激励会が行われる。

開会式で挨拶をする豊田

会場が熱気を帯びる中、開会式が始まった。社長の登場で4500人のランナーとスタンドの観客の視線が一気に注がれる。壇上に上がった豊田は声を張り上げた。

豊田
皆さんおはようございます! 今年もこの日がやってきました。優勝を目指すチーム、参加して走り切るチーム。今日走る8人に選ばれた人、選ばれなかった人。ずっと応援、サポートしてきた人たち。応援団、運動部の諸君。そして今日も朝からずっと、徒歩で駆けつけてくれた人。みんなありがとう!

ランナーたちだけではない。これだけの規模のイベントをつくり上げるには、たくさんの「縁の下の力持ち」がいる。そんな人たちにも感謝の気持ちを伝えた。

一斉に駆け出す第一走者たち

開始時間の9時50分が近づく。ももを叩いたり、伸びをしたりするスタートラインの選手たちの表情にも緊張が漂う。副社長の吉田守孝がスタートの合図となるピストルを鳴らすと、選手たちが勢い良く飛び出した。競技場から周回コースへと出るとさっそく上り坂が始まり、落ち着いたかと思うと一気に下り坂になる。アップダウンを何度も繰り返す過酷なコースだ。競技場内では、レースの間、選手を激励する楽器を使った応援が途切れることがなく、近くの人との会話が聞こえづらいほどだった。

従業員の輪の中へ

この大会はただ走るだけのイベントではない。競技場を出たところにある広場には、子供が車いすバスケットやラジコンを体験するコーナー、車両展示コーナー、モノづくりテント、食料品販売などのスペースが設けられ、家族連れで賑わっていた。

豊田にとっても、挨拶が終わってからが本当の出番だ。

豊隆鍋に舌鼓を打ち、従業員との会話を楽しむ豊田

イベント広場を歩くと、「社長、食べていってくださいよ!」と呼び止められる。中途入社の技能員で組織する社内団体・HORYU(豊隆会)が、自分たちで調理した「豊隆鍋」を勧めてきたのだ。試食した豊田が「甘いね、これ何で甘み付けたの?」と質問すると、一人の男性が「何もつけていません。野菜の甘みです」と答える。驚いた顔をする豊田に、すかさずもう一人が、「とろろも入っていて、とろみもあります。体があったまって、駅伝にぴったりです」と補足する。こんな感じで会話も弾み、最後はHORYUのメンバーと記念写真に収まった。

従業員たちに囲まれ即席のフォトセッション

その後も、運動部員が運営するスポーツの体験ブースを訪問したり、展示広場にあった世界ラリー選手権(WRC)に参戦している小型車「ヤリス」のラリーカーに乗り込んでは、エンジンをふかしたり。

「モリゾウさんだ!」「社長! 写真撮らせてもらっていいですか?」。行く先々で声をかけられ、笑顔で従業員の声に応じていた。

南アフリカからも参加

スタートから約1時間半がたち、先頭チームのアンカーが競技場内に帰ってきた。豊田や副社長らはゴール地点で待機し、フィニッシュテープを切る選手たちを拍手で迎え入れる。

1位でゴールする高岡工場組立部Aチーム

精鋭たちがしのぎを削る一般の部ロングコースの優勝は高岡工場(愛知県豊田市)の組立部Aチーム。前回大会で連覇を阻止された堤工場(同)の車体部Aチームとの激戦を制し、リベンジを果たした。アンカーを務めたキャプテンの吉田史明は「去年もアンカーだったんですけど追いつけなくて。2位になって悔しい思いをしました。この悔しさを晴らそうと、みんな4月から毎月300km以上を走り込んできました」。チーム全員の力を結集して乗り切った手応えが言葉ににじんだ。

はるばる南アフリカから出場したTSAMのランナー

駅伝には海外の従業員も参加する。今回は2007年から出場する南アフリカトヨタ自動車(TSAM)が15位に入った。タイムは昨年を上回り、選手たちの表情にはすがすがしさもあった。

コーチのギャレット・ロブソンは「多くのメンバーが日本の文化に触れることができる。日本のチームがどう規律を守り、どう改善に取り組んでいるかが分かる。特にトップチームがどれだけ鍛えてきたかを見るのは、とても刺激になる」。はるばる海外から大会に出場する意義を語った。

工場でカローラの組立を担当しているというキャプテンのムサウェンコシ・ドゥラドゥラはチーム初出場の時から出場するベテラン選手。これまで参加してきたメンバーの成長を「コミュニケーション」「パンクチュアリティー(時間厳守)」「チームワーク」といった点で実感していると説明してくれた。単なる運動会ではなく、海外勢にとっても収穫の多いイベントになっていることがうかがえた。

一体感を分かちあう場

駅伝の魅力とは何か。トヨタ陸上長距離部で監督を務める佐藤敏信に聞いてみた。佐藤はコニカミノルタでヘッドコーチを務めていたころから、指導者としてニューイヤー駅伝9回の優勝を果たしている。いわば駅伝のプロだ。

佐藤
もちろん、『従業員の一体感醸成』をほかの団体スポーツに求めることもできます。でも、駅伝はまた特殊じゃないかと思うんです。汗が染みこんだたすきには、チームメイトが命がけでつないできた重みがあります。そんなたすきを肩にかけて、たった一人で任された区間を走りきるのは、ものすごいプレッシャーなんです。誰かがブレーキをかけてしまうこともあります。それでも、一人ひとりの懸命の努力がつながって、みんなで挽回する。そんなたすきをつなぐ姿に、私たちは特別な思いを重ね合わせるのではないでしょうか。

たすきをつなぐランナーたち

工場には日中働いている人もいれば、夜勤の人もいる。最近では、時短勤務や在宅勤務など、働き方の多様化が進み、たとえ同じ部署でも、部員全員が揃う機会は減っている。そんな中で駅伝は、個人で練習をすることができる数少ない団体競技だ。離れていても、チームで掲げた目標のために、一人ひとりが努力を積み重ねる。仲間を信じて、自分を信じて、たすきを託す。職場ごと、個人個人でさまざまな事情がある中、これだけたくさんの人が参加し、達成感や一体感を分かち合うことができる競技として、駅伝は今でも機能しているといえるだろう。

豊田が考える駅伝の意味

では、社長の豊田は社内駅伝について、どう思っているのだろうか。

少し前になるが、2017年の年頭挨拶に、詳しく解説している発言があった。

社内駅伝について言及した2017年の年頭挨拶
豊田
昨年(2016年)の大会は、これまで以上に 素晴らしい大会だと思いました。参加した全員が、仲間にたすきをつなぐため、最後の力を振り絞る。声を枯らして、職場の仲間に精いっぱいの声援を送る。こうした、いつもの姿に加えて、 今回は、走り切った選手の多くが「自分以外の誰かのために頑張った」とコメントしていました。開会式では、「縁の下の力持ち」として、大会を支えている人たちを全員でたたえてくれました。そして、優勝チームであるトヨタ自動車九州が受け取ったトロフィー、3位以上のチームに贈られたメダルもすべて、私たちのモノづくりの匠の技術で作り上げたものでした。

やはり、「自分以外の誰かのために」という心構えを実践する場として、社内駅伝を大事にしている。

ただ、スピーチの後半では、次のような言葉も付け加えていた。

豊田
私は、不思議に思うのです。どうして、「社内駅伝」と同じように、仕事ができないのか。どうして、仕事になると自分の部署のことを先に考える人が増えてしまうのか。

今年の年頭挨拶(INSIDE TOYOTA #48)でも同様の発言があったが、豊田は3年以上前から変わらず、同じ問題意識を持ち続けてきたことがうかがえる。

一人ひとりが素直な気持ちで、真剣に物事に取り組む。同じ目標に向かって心をあわせ、ひとつになる。喜びを分かち合い、時に涙する。そんな光景が社内駅伝にはある。

豊田と従業員にとって社内駅伝は、「トヨタらしさ」とは何かを見つめなおす、そのきっかけを与えてくれる機会でもあるのだ。

◆トヨタの社内駅伝とは?
~70年以上続く伝統行事

社内団体「HUREAI(ふれあい)活動本部」が主催し、大会名は「HURE!フレ!駅伝」。すべて8区間からなる「一般の部ロングコース」「女性の部」「シニアの部」「一般の部ふれあいコース」(ロング:30.54km、その他:22.6km)の4部門でたすきをつなぐ。

大会の舞台となるトヨタスポーツセンターは、駅伝の発着点となる陸上競技場のほか、サッカーJ1・名古屋グランパスエイトの練習場、トヨタの実業団選手らが利用する硬式野球場、軟式野球場、ラグビー場、女子ソフトボール場、男子ソフトボール場、テニスコート、アーチェリー場、体育館、プール、さらには、企業内訓練校「トヨタ工業学園」などが立地しており、ランナーはこの周回コースを走る。

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1947年 第1回社内駅伝のようす

第1回大会が開催されたのは1947年3月。「スポーツを通じて働く意欲を盛り上げ、職場の団結をより強くしよう」という声が上がり、本社を発着としたコースで10チームの参加から始まる。1940年3月から従業員の有志が集まって豊田市一周駅伝を行うも、太平洋戦争の激化とともに消滅。戦後“復活”した駅伝大会は、経営危機により、労働争議の過熱、人員整理、創業者の豊田喜一郎の退任が起きた1950年を除いて、毎年実施している。1974年の第27回大会からトヨタスポーツセンターで開催されることになり、翌年の第28回大会で初めて女性ランナーが登場。1991年の第44回大会で外国人ランナー(前年の招待選手を除く)が初参加した。1992年の第45回大会で女子の部、1995年の第49回大会でシニアの部をそれぞれ新設。1999年の第53回大会では、米国トヨタ販売(TMS)が海外チームとして新たに加わった。

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