トヨタイムズ

東富士から未来へ受け継がれる「志」とは

香川編集長 2021.03.25 UPDATE

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ひとつの歴史が幕を閉じ、新たな挑戦がはじまる——。

2021年2月23日、トヨタ自動車東日本(TMEJ)の東富士工場跡地に建設される「Woven City(ウーブン・シティ)」の地鎮祭が行われた。その様子を取材したのは、香川編集長と新人記者の森田京之介。

トヨタの未来を担うWoven Cityが、この東富士の地につくられる。その意義を真に理解するためには、この場所で紡がれてきた歴史を知る必要がある。東富士工場は、トヨタにとってどんな場所だったのか。未来に受け継ぐべきものとは、何か。それを探るべく、2人は工場跡地を訪れた。

東富士工場の跡地を取材

2人の目の前にそびえたつ巨大な工場。その壁には、大きな字でスローガンが掲げられている。

お客様本位 宣言「すべてはお客さまのために」東富士から「真心」を込めて

たくさんの従業員が、この言葉を胸にここで働いてきたことだろう。この言葉は、2008年までTMEJ(当時は関東自動車工業)の社長を務めた内川晋氏が提唱した考え方。営業を持たないボデーメーカーだからこそ、意識してエンドユーザーであるお客様とのつながりを考え、すべての業務をお客様の価値観を基準に考えようというメッセージだ。このスローガンがTMEJに大きな変革をもたらし、前に進む力を与えてきた。

2人の目の前にそびえたつ巨大な工場

建物の入り口で2人を迎えてくれたのは、工場閉鎖が決まったときに社長を務めていたトヨタ自動車東日本 取締役会長の白根武史氏、現場の最高責任者として工場を守ってきた東富士工場長の阿部重三氏、そして工場を閉鎖する役割を任されている総合センター管理室の松岡俊哉氏。東富士工場を大切に育ててきた3人だ。多くの設備が運び出され、静まりかえった工場をどんな気持ちで眺めているのだろうか。

東富士工場を大切に育ててきた3人

新人の森田記者は、東京のテレビ局でアナウンサーとして活躍し、この1月にトヨタに入社したばかり。トヨタの工場に入るのは今日が初めてということで、興奮を隠せない。

森田
トヨタの工場に入るのは、恥ずかしながら初めてで、非常に興奮しております。よろしくお願いします。楽しみです!

一同
よろしくお願いします。

3人の案内で、さっそく編集長と森田記者は工場に入る。「今日はクルマをつくる順番で、プレス工程、ボデー工程、組立工程と回っていきます」と松岡氏。

編集長と森田記者は工場に入る

最初はプレス工程だ。ここには、トランスファーラインと呼ばれる巨大な装置が置かれていた。ボディの原料となる鋼板を自動的に送り、4つのプレス工程を経て成型する装置だ。工場の広大な空間全体が、この巨大な装置で埋め尽くされていたという。今はがらんとしているこの空間も、ついこのあいだまでは、金属がぶつかる大きな音が響き、人やモノが行き交う活気あふれる場所だったはずだ。

香川
ちょっと、さみしさもありますか。

松岡
さみしいですね。私は保全出身なので、いろんな物語がここにはあって。本当に寂しい限りです。

片隅には、28年間クルマのボディをつくり続け、その役目を終えた巨大装置の一部が残されていた。

森田
いやー、お疲れさまでしたという気持ちになりますね。本当に。

最後まできれいに使ってくれた

「あちらのほうに、東富士工場のレガシーとして残しておく部品があるので、ちょっとみてください」と松岡氏。そこに置かれていたのは、製造中のクルマのボディを搬送する「ハンガー」や、生産ラインの異常をいち早く感知するための「アンドン」と呼ばれる表示装置だ。アンドンに書かれたある言葉が気になる森田記者。

生産ラインの異常をいち早く感知するための「アンドン」と呼ばれる表示装置

森田
「ポカヨケ」というのは?

阿部
生産ラインに異常があったときに止めるような装置が付いていますが、それが作動したときにポカヨケを働かせるといいます。通常は(異常が起きたときは)人がアンドンを引くのですが、人はどうしてもミスをします。そのときに、機械的に異常を感知するのがポカヨケです。

森田
保険の保険、みたいなイメージですね。

阿部
はい。機械的に異常を止めるために付けています。

次の工程は、タンデムラインと呼ばれるプレス装置が設置されていたエリア。ここもかなりの広さがある。装置が置かれていた場所は、地下まで深く掘り下げられていた。通常、このように低くなった場所というのは汚れやすいものだ。ところがここは、きれいな状態が保たれていた。

タンデムラインと呼ばれるプレス装置が設置されていたエリア

工場の閉鎖が決まり、残りの稼働期間が限られた状況下では、多少汚れたところで生産には問題が無かっただろう。だがここで働く人たちは、最後まで手を抜かなかった。ゴミひとつ落ちていないピカピカの床からは、従業員たちがどれだけこの工場を大切にしていたのかが伝わってくる。

白根
これをね、みんなが、最後の最後まできれいに使ってくれたんだよな。一生懸命。いつもいつも、プレスの地下をきれいにしておくというのがね…。

松岡
そうですね。工場長や課長のこだわりで、きれいにしておく、というのがありましたね。

森田
いろいろな工場を見ている人からすると、「なんでこんなにきれいなんだ」と。

松岡
それはトヨタの中で、各工場の競争ですよね。下をきれいにするというのは。

森田
負けられない、と。

松岡
はい。

次に訪れたのは、ボデー工程だ。プレスで大まかな形を作ったパネルを組み合わせ、ロボットと人手で溶接していく作業。ここでは406台ものロボットと、約100人もの人が働いていた。工場の閉鎖後、ロボットたちはトヨタグループの別の工場に引き取られたり、売られたりしていった。従業員たちも、既にその多くは東北にあるTMEJの別工場に移っている。

工場の片隅に1台のロボットが残っている

工場の片隅に、1台のロボットがぽつんと残されていた。

森田
これは、ロボットが1台残っているということですか。

松岡
そうですね。これは、ちょっと取るのが大変なものですから、設備を壊すときに一緒に壊すんです。

培った技術・技能は東北へと受け継がれる

東富士工場は、TMEJにとって、いや、トヨタにとっても特別な工場だった。「日本で唯一のショーファーカー(お抱え運転手がリヤシートにVIPを乗せて運転する使い方を想定したクルマ)であるセンチュリーと、一番の耐久性が求められるJPN TAXIを、ここで生産していた」と白根会長。最高級のクルマをつくるにも、ずばぬけた耐久性を持つクルマをつくるにも、高い精度と品質が求められる。トヨタの中でも最高峰の技術力と技能を持っていたのが、この東富士工場だったのだ。

トヨタの中でも最高峰の技術力と技能を持っていた東富士工場

例えばセンチュリーの塗装。一般的な乗用車の塗装は4層。ところがセンチュリーは7層もの塗装が施されている。しかもそのうちの3層は、手間がかかるため今はほとんど使われていない「水研(すいけん)」という手法で磨かれるのだ。

そしてセンチュリーで培った塗装の技が、JPN TAXIに採用された日本の伝統色、深藍(こいあい)にもつながっているという。

白根
技術力だけではダメで、やっぱり技能の高さというのが至る所で必要になってくる。センチュリーの塗装にしても、7層の塗装を、今はない水研をやって、あの光沢を生んだというのもそうだし。そしてJPN TAXIの深藍。これも、やっぱりそこで学んだ匠の腕によってなし得たものだと思いますけどね。

東富士工場の匠の技は、工場閉鎖とともに消えゆくのではない。ここで磨き上げた技術や技能を持つ従業員たちが、今度は東北の工場で活躍し、その技を広く伝えているのだ。東北の工場にすべてを伝え、もう準備ができた。だからこそ、東富士工場を閉鎖するという決断ができたのだ。

白根
みなさん、匠の技の輪を広げていくということは、ずっとやってくれていますから。それで、どんどん東北の生産性が上がっていった。今のこの台数なら、東北の工場だけで十分生産できるだけの力になったな、と。じゃあ一番古い、53年の歴史を持つこの工場を閉じようか、と。こういうことでしたね。

最終的に工場閉鎖を決断したのは、当時社長を務めていた白根氏だ。「誰がこの会社の社長をやっていたとしても、やっぱり同じ決断になった」「理屈としては明快だった」と白根氏は振り返る。そう、理屈としては…。だが、やはり気持ちはそんなに簡単に割り切れるものではない。

最後まで工場閉鎖に反対したひとりが工場長の阿部氏

最後まで工場閉鎖に反対したひとりが、工場長の阿部氏だ。現場を預かる責任者として、何とか工場を残す道を必死で探った。

白根
彼は工場長ですから。どこまでも工場長は、工場を使っていきたいわけですよ。

香川
それはそうですよ。

白根
そりゃあ、一生懸命やるよなあ。いろんなカイゼンを並べて。「こうやればいける、こうやればいける」って言ってくれたんですよね。

香川
でも、もう仕方なく判断したと。

白根
「そうかそうか、ありがとう」と言いながら、閉じるわけですからね。

突然語られた「未来の実証都市」構想

組み立てが終わってクルマを出荷する最終段階であるセールスラインを抜けると、ちょっとした広場に出た。そこは、白根会長が従業員を集めて工場の閉鎖を告げた場所だった。

白根
みんなに「大事な話がある、集まってくれ」と。

香川
いやな言葉だな。一番聞きたくない。人生のそういう瞬間って、3つも4つもあるわけじゃないですよね。どれだけ時間がたっても、そこに舞い戻れる日。それが、その日だったんですね。

森田
そのときの従業員の方々の表情、反応は覚えていらっしゃいますか。

白根
そりゃあ、みんなポカーンとしてね。「何を言うんだ、社長は」って顔ですよね。

従業員を前にスピーチする豊田社長

そんな折り、豊田社長が東富士工場を訪れた。「あれは18年の7月4日か」。白根会長はその日付を正確に覚えていた。その日、東富士工場ではセンチュリーの量産開始を祝うラインオフ式が開かれていた。従業員を前にスピーチする豊田社長は、従業員の質問に答える形で、いきなり驚くべき構想を語りはじめた。工場の跡地を、未来の街づくりの実証実験の場にする、というのだ。

従業員
東北に行って、また車をつくっていきたいという気持ちがあるけれど、いろいろな事情があって、ほんとは行きたいけど、家族のことを考えると、一緒には行けないし、辞めざるを得ない人も、中にはいると思うんですよ。

 そういう人のことを考えると、やっぱり、喜んで向こうには行けないっていう気持ちが正直あるので、今後、ここをトヨタとしてはどうしていくのか、今考えていることを教えていただければありがたいと思います。

豊田
この東富士工場は、これから50年の未来の自動車づくりに貢献できる聖地、自動運転などの大実証実験コネクティッドシティに変革させていこうというふうに私は考えています。まだ構想段階ではありますが、意志さえあれば必ずできると思います。

白根
豊田社長に(工場の今後について)相談したら「全力でバックアップするぞ」と言ってくれたでしょ。ははあ、こういう形で考えてくれたのか、と僕は思いましたね。

53年間、東富士工場は高い技術力と技能でさまざまなクルマをつくり、日本のモータリゼーションをけん引してきた。その場所にWoven Cityをつくり、そしてこれから50年の未来を切り拓く存在にしようとしている。

会長の口から出た感謝の言葉

次に案内してくれたのは、歴代センチュリーを生産してきた工場だ。初代から53年間、ここでセンチュリーが綿々とつくられてきた。匠の技によってはじめて成し得る高度なものづくりに敬意を表し、ここは「センチュリー工房」と呼ばれていた。実は香川編集長、幼少の頃からセンチュリーを乗り継いで来たという、筋金入りのユーザーだ。

香川
体が大きい割には、このホイールが小さい。その分ボワンボワンするんですよ、タイヤが。

森田
やわらかい、と。

香川
これがいいんです。

森田
その喜びを語れる人って、あまりいないですよ(笑)。

歴代センチュリーを生産してきた工場

東富士工場が建設されたのは、1967年。昭和40年代から日本のモータリゼーションを支えてきた。53年積み重ねてきた歴史があり、最高峰のクルマをつくってきた誇りがある。そんな工場が歴史に幕を下ろし、跡地に未来の実証都市が建設される。

そのことについて、白根会長は、「長年モノづくりをしてきた自分たちにすれば、街づくりという数段高い目標に向けて工場跡地が活用されるのは、すごくうれしいし、ありがたい」と感謝の言葉を口にした。

10年、20年後、Woven Cityをモデルとした未来都市が世界中に広がったとしたら、その起点はこの東富士の地にあったんだ。そのルーツは、53年間クルマづくりをしてきた工場だったんだ、と振り返ることができれば、こんなに幸せなことはない、と白根会長は笑顔を見せる。
そして白根会長が最後まで口にしたのは、これまで一生懸命、東富士工場で働き、工場の閉鎖や東北への異動を受け入れてくれた従業員たちへの思いだった。

香川
今、白根さんが言われたとおり、10年後、20年後が判断してくれるということで、これからの展開を見ていきたいね。

白根
これまで力を合わせてくれた従業員も全部合わせてですね。

香川
そうですよね。みなさん、いま会長とつながっていると思うんですよ。それはみなさんにも勇気になっていると思うし。心の中に残れば残る、というね。なかなか納得できないかもしれないけど、これこそ残していかなければいけないとこだから、このトヨタイムズという機会を通じて残していっていただけたらな、と心から切に願っています。

53年間、日本のモータリゼーションを支えてきた東富士工場。そこにあったのは、飽くなきカイゼンによって磨き抜かれたトヨタのモノづくりの神髄だった。そしてここにあった「もっといいクルマづくり」への熱い志は、白根会長とここで働いた従業員たちによって、東北へ、そして未来へとしっかり受け継がれていくに違いない。そんなことを感じた香川編集長と森田記者だった。

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