トヨタイムズ

過去から未来へ。壮大な実証都市が目指すもの(前編)

香川編集長 2021.03.18 UPDATE

INDEX

1400人の前で「工場を閉じる」と告げた日

閉鎖直前、この工場では匠の技が随所に注ぎ込まれたセンチュリー、そして桁違いの耐久性が求められるJPN TAXIがつくられていた。いずれも、特に経験や技術力が求められる車種で、どこでもつくれる製品ではない。ここには、それだけ高い生産技術があったのだ。

そんな東富士工場が培ってきた技術とノウハウを、トヨタ自動車東日本はどんどん東北の工場に伝え、東北の生産性は大きく向上した。その結果、最も古い東富士工場はその役割を終え、閉鎖する流れになったと、当時社長として決断する立場にあった白根会長は振り返る。

当時社長として決断する立場にあった白根会長は振り返る

白根
誰が(トヨタ自動車東日本の)社長をやっていたとしても、やはり同じ決断を下したと思うんですよね。それだけ理屈としては明快だった、と。

そんな中、最後まで反対をしたのが工場長の阿部氏だ。たくさんのカイゼン案を並べ、「こうやればいける」「こうすればもっと競争力を上げられる」と提案を続けた。だが、大きな流れが変わることはなかった。

そして決断をした白根会長が最初に思ったこと。それは「私から最初に、従業員のみなさんに伝えなければならない」ということだった。急きょ従業員1400名を集め、自分の決断を告げた。「悪いけど、この工場は閉じる。みんな、東北に力を合わせてくれ」

その言葉を瞬時に飲み込めない従業員たちは、ポカンとした表情をしていたという。だがその後の従業員たちの動きは力強かった。

白根
それはすごかったですよ、この工場のみんなは。毎日どんどんカイゼンをして生産性を上げていく。そして浮いた力、浮いた人間をどんどん東北へ異動させていったのです。

いろいろな工夫をしてくれました。その知恵を全部持って東北へ行ってくれましたから、それでまた東北は強くなります。

豊田社長の口から語られた「実証都市」構想

東富士工場の閉鎖が決まった後の2018年7月、3代目センチュリーのラインオフ式で工場を訪れた豊田社長は、大勢の従業員たちの前に立っていた。

東富士工場の閉鎖が決まった後の2018年7月、豊田社長は、大勢の従業員たちの前に立っていた

「東北に行って、またクルマをつくっていきたいという気持ちもあるが、家族のことを考えると一緒には行けない仲間もいる。そういう人のことを考えると、喜んで東北には行けないという気持ちが正直あります——」。

涙ながらに苦しい胸の内を訴える従業員たちの言葉を、豊田社長は噛みしめるように聞いていた。「今後、トヨタとしてこの東富士をどうしようと考えておられますか」そんな従業員から問いかけに答える中で飛び出したのは、予想もしなかった壮大な計画だった。

豊田
この東富士工場は、これから50年の未来の自動車づくりに貢献できる聖地、自動運転などの大実証実験コネクティッドシティに変革させていこうと私は考えております。まだ構想段階ではありますが、意志があれば必ずできると思います。

白根
豊田社長に(工場の今後について)相談したら「全力でバックアップするぞ」と言ってくれたでしょ。ははあ、こういう形で考えてくれたのか、と僕は思いましたね。

2020年1月、世界を驚かせたCESでの「Woven City」発表の約1年半前のことだ。こうして53年にわたる東富士工場の歴史は、未来へとつながった。

東富士工場跡地を取材

香川
今日、立派に地鎮祭が行われました。どんなお気持ちですか。

白根
今日はすばらしい天気でしたよね。富士山が真正面に見えて。まるで未来を物語っているな、という感じがしました。

香川
期待しましょうよ、白根さん。言ったんですからやりますよ、豊田社長は。それは、我々も見続けて、取材していかないといけないから。

53年センチュリーを作り続けた「工房」

東富士工場を象徴するモデルのひとつが、センチュリーだ。天皇陛下や内閣総理大臣、そして多くのVIPにご利用いただいている、言わずと知れたセダンの最高峰。初代センチュリーが発表されたのは、くしくも東富士工場が完成した年と同じ、1967年のこと。実に53年間、この東富士でセンチュリーはつくられてきた。

東富士でセンチュリーはつくられてきた

工場の建物を出た編集長と森田記者を待っていたのは先代のセンチュリー。代々家族がセンチュリーを乗り継いできたという香川編集長は、感慨深げに乗り込む。向かう先は、歴代センチュリーを生産してきた、名付けて「センチュリー工房」だ。匠の高い技術によってはじめてなし得るモノづくり。そんな尊敬の意味を込め、工場ではなく「工房」と呼ばれてきた。だが今回の閉鎖に伴い、センチュリーの生産は愛知県の元町工場に受け継がれていく。

センチュリーの生産は愛知県の元町工場に受け継がれていく

それだけ思い入れが深い工房を閉じてまで作るWoven Cityについてどう思うか、という森田記者の質問に対し、白根会長はこう応えた。

白根
クルマづくりという「モノづくり」をしてきた自分たちにすれば、街づくりという数段高い目標に向けて工場跡地が活用されていくというのは、すごくうれしいし、ありがたい。

10年20年たった後、グローバルにそんな街づくりが広がっていくとき、振り返ってみるとその街のスタートは、日本の裾野のここだったんだ、と。さらにさかのぼれば、53年間センチュリーをはじめいろいろなクルマづくりをしてきた工場があったんだ、と。いつか振り返ったときにそういうつながりができれば、こんなに幸せなことはないんじゃないかと思っています。

Woven Cityは、更地の上に建つんじゃない

1日、Woven Cityが建設される東富士工場跡地を取材した香川編集長と森田記者。Woven Cityは更地の上に建つのではなく、ここで真剣にモノづくりをしてきた人たちの血と汗と涙の上に、新たな都市が建つのだと実感した。

森田
Woven Cityは、「つながる」コネクティッドシティなのかもしれないですが、最終的には「つなぐ」架け橋なのかもしれません。それは過去と未来、東富士と東北、あるいは東富士から世界へ。そんな発信拠点になっていくのかな、と今日の取材で感じました。

香川
そんな君に、Woven Cityの架け橋のもう一方の端っこ、「未来」にいってもらう。取材に行って、果たしてこの地に建つ未来がどんなものになるのか、具体的に見てほしいです。

もうひとつ大きなミッションは、それを自分ひとりでやってくること。自分なりのやり方でいいから、楽しくやってきてください。

森田
がんばります!

ということで、香川編集長から単独取材の指令を受け取った森田記者は、日本橋にあるWoven Planetに向かった。果たしてトヨタが描く「未来」とはどんなものなのか。そして実現に向けどんな開発が行われているのか。後編では、森田記者が取材したWoven City開発の最前線をお届けする。

東富士工場の歴史は、未来へとつながる

RECOMMEND

ヤリスを生んだ、東北のモノづくり

欧州で最高評価を得た新型ヤリス。その裏には震災復興への豊田社長の想いと、東北のモノづくりの力があった

2021.04.09 UPDATE READ MORE

トヨタの技術トップが、東北で感じた再エネの可能性

日本でも、再エネを主力電源に?震災から10年、トヨタの技術トップが東北で目にしたものとは...。

2021.04.14 UPDATE READ MORE

「日本のクルマづくりを支える職人たち」第1回 木型職人 剣持正光

自動車業界を匠の技で支える「職人」特集。第1回はモータースポーツエンジンも手掛けた「木工の匠」に話を聞く

2021.03.31 UPDATE READ MORE